【真夏、マッコウクジラの歯】
【真夏、マッコウクジラの歯】
真夏に、マッコウクジラの歯が折れた。十年以上も、身に付けていた海のお守りだった。紐で硬く編まれたネックレスで、余程のことがない限り外すことはなかった。
朝起きたら、縦の亀裂が真ん中に入り、さらに真横にもボキッと折れていた。おそらく四つに割れたようだった。紐に縛られた部分近くまで折れていて、それと破片はもう一つ。先の二つの破片は、今もみつかっていない。
マッコウクジラの歯を釣り針型に削った、海に入る時のお守りで、ハワイで作られたものを友人からもらった。マッコウクジラの歯は、世界中の生き物の歯や骨の中で一番硬いといわれていた。それをネックレスにし、釣り針を左胸の心臓側に向けておくと、それが引っかかって、海に引きずり込まれることなく、生きて帰ることができる。そんな願いがかけられている。
それが折れて、破片が半分消えていた。2026年7月27日のことだった。何かの身代わりになってくれたのか。今のところ、自分には変わりはない。
目の前に、折れて消えたそれをみて、最後に入った海を思い出していた。何か良くないことが起きていないか。破片を探しながら、考えてもわからない。食事をとりながら、心を落ち着ける。
少し気持ちを落ち着けてから、AIに聞いてみた。マッコウクジラの歯は象牙質なのだという。硬いが長いこと使っていると、裂けるような割れ目が入りそこから折れることはあるという。
破片がみつかったら、形だけでもリペアしたいのだけれど、今は『小さいおじさん』に隠されてしまっている。
【海のお守り、ロッカーで待つ】
ふと沖縄の海に入った時のことを思い出した。3月、ウエットスーツにライフジャケットを着て、アクティビティに挑戦した際、水圧で落ちるかもといわれた。思えば外れるはずのないネックレスだった。お守りのはずなのに、それロッカーに置いて、海にはいってしまった。
海で水を飲んだ際に、喘息を引き起こした。これは地上でも呼吸困難になる症状だった。何度も水を飲み、呼吸ができないまま海の中で意識のカウントダウンが始まった。足はアクティビティの装備で固定されていて、上手く泳げなかった。
マッコウクジラの歯のことを思い出した。遠くで、上を向けば浮くからと聞こえる。落ち着け、落ち着けと、言い聞かせ、細く、小さく呼吸をする。なんとか、ボートにしがみついた時には、ほとんどの力を消耗してしまっていた。
海育ちだから、思えば危険なチャレンジもしてきた。でも本当に危険なのはそういう時じゃない。小さな違和感。小さな直感が働く時は危ない。
【ペルーのおばちゃんの蛇】
そんなわけで、話を戻すと、その長いことつけていたマッコウクジラの歯のお守りを失って、胸元が寂しくなった。それ以前に長く付けていたネックレスは、横須賀の海外雑貨屋さんで買った蛇のネックレスだった。
二十五年くらい前に買ったヤツだ。ペルーのおばあちゃんが作ったネックレスだと、店員さんはいった。赤い石がついたシルバーアクセサリーだった。
おばあちゃんって誰?とは、二十代前半の男の子は考えない。呪文のような、勝手なストーリーを作って、ペルーからきた蛇に想いを馳せる。
おばあちゃんは、物心ついた頃から、シルバーと石と関わって生きてきた。昔からこの地域では鉱物には力が宿るとされてきた。おばあちゃんは、感じ取った力をカタチにした。
赤い鉱石を背負った蛇は、導かれて持ち主の元に運ばれた。山を渡り、海を渡り、この地へ。そして少年がその想いを引き継ぐ事となる。何度かチェーンは切れたが、直されたり、新しいチェーンに変えられたりしながら、それは、ずっと胸元にぶら下がっていた。最後にチェーンが切れた時、また直そうとしまっておいたら消えていた。
ペルーのおばあちゃんの蛇もその力を失ったのか、十四年ほど前に消えた。まだ小さいおじさんが返してくれないみたいで。
今、またマッコウクジラの歯のネックレスをネットで探してみたけど、いまいちピンと来ない。それでも小さな違和感があるから、また新しいネックレスを付けている。ずっと持とうと思って持って来なかった石、ターコイズだ。しばらくはこれを付けている。馴染むかも知れないし、またマッコウクジラに出会うかも知れない。その時まで。