【陸橋】
【陸橋】
令和8年6月13日午前。
目黒通りを走る東急バスは、環状七号線をまもなく通過しようとしていた。
LINEで入力する。
現在、かんななりっきょうを、
現在「環七陸橋」を通過中。
ん?りっきょう?あれ?
え?なに。え?そんなことある?
何度スマホの変換キーを押しても「環七陸橋」とでる。
「かんなな、りっきょう」
そう呟いて、深く息を吸い込んだ。
これは、長い間、深く意識していなかった長い長い、勘違いだった。
私はずっと、「陸橋」を「立橋」だと思って生きていたのだ。
すぐに漢字の意味はわかった。
ここは海でもない。川でもない。ここは道路。陸だ。
陸にかかる橋だから、「陸橋」。
そのままじゃないか。当たり前じゃないか。
私は何度も変換キーを押して、検索結果を確認したが、「立橋」という言葉はどこにもない。
それはそうだ。立っていない橋はない。
「No bridge, no standing. 」
そう言いたかったけど、それすらダメだった。
「英語としてはかなり不自然です。」
AIはためらいもなくそう答えた。
【架け橋】
言い訳を考えた。
「陸橋」と「立橋」を繋ぐ「架け橋」だ。
そうだ、陸橋は見上げることができる。下から見上げた陸橋には、頑丈そうな柱が何本も立っていて、それに支えられている。
柱が立っているから、その立っている姿に、漢字の「立」を無意識にあてていたのだ。
海や川にかかる橋は、基本的には橋の上を通るわけだから、柱はみえない。
見下ろした下にはキラキラと水面が輝いて、私はそこにいつも魚の影や、水中の生物の存在を探している。
時に、水鳥がやってきて水中に潜って魚を追う。
橋の上から、遠くを見渡している。
自然にできた、谷や海峡を繋ぐ。私たちが自由に行き来することのできる架け橋の上から、その様子をみている。
【立橋】
とはいえど、もう少しで半世紀も生きてきたことになる。
船に乗って橋の下を通過したり、遠くから橋を見たりした時は、橋の下には必ず柱がある。真っ直ぐと立つ柱に支えられているのがわかる。
知らないはずはないのに、そこに疑問も持たずにやってきてしまったんだ。
一つの疑問が生まれた。
みんなも、「立橋」だと思っていたのではないだろうか?
このブログを読んで、ハッとした人も少なくないのではないだろうかと。
「環七立橋」
ブログにはこうやって簡単に表記されているけど、基本的に存在しない言葉だから、わざわざ「立つ」と「橋」を別々に打ち込んでいく。
そうやって歩いているうちに、またその陸橋の下にやってくる。
ブログのために写真を撮ろうと、歩道の端によって、カメラを構える。
「柿の木坂 陸橋」と書かれた、大きな陸橋。「環七陸橋」ですらなかった。
ならば、このブログの存在価値は、いったい……
およそ十二年間。一年に三百回ほどの往復をしてきた。
12×300×2=7200
七千二百回以上、その下を潜ってきたこの橋の名前を、今日認識した。
令和8年6月23日の午後。
このブログもまもなく百回目を迎える。第九十八回目。
私は、「柿の木坂 陸橋」の下を歩いている。