【歩きながら】
【歩きながら】
最近、ブログを書いていない。そのかわりに、メディアプラットフォームnoteにショートショートと呼ばれる短い文を書いている。
ブログには、毎日の何気ない日常を、ショートショートには、寓話的な非日常を書いている。そうやって、日常と非日常を、歩きながら行き来する。
職場までの道のりを、歩きながら書いている。まさに今も歩いている。歩きながら書いている。ブログが最近少ないのは、日常と向き合っていからなのだろうか。
そうなると、非日常とばかり向き合う変な人みたいに思われるが、そうではなくて。ブログをあまり書かない時は、穏やかな日常に不満がなく、疑問が浮かばない時なのだ。
世の中の不条理をニヒルに、ユーモラスに描きたい。小さな花の種のような日常の発見に、たくさん水をかけて、大きく膨らませたブログを書きたい。それがあまり書けない時は、深く考えずに、ボーッとしていたいのだ。
そう、歩きながら、こうやって。
【継続は力なり】
そうはいっても、このブログももう少しで100話を迎える。何事もまず100回の反復を継続すると、それなりの力になると誰かがいっていたので、まず100回を目指している。
書いてきた中でも、「褒め言葉」や「せっかくだから」は今でも好きなブログだ。内容はここから振り返れるので割愛するけれど、今もあの時の、書いていた、あの場面を鮮明に思い出すことができる。
ちょっと日常の離れたところから、日々の日常をみすえると、もっと刺激的な出来事を見つけることができるかも知れない。しかし刺激を求めすぎて枯渇するのは、健康的とは思えない。
ゆっくりと継続を続けるためには、無理をしない、焦らない、背伸びをしない。こういうことも大切にしないといけない。そうしないと長く続けることはできなくなってしまう。
これは全ての人に当てはまる。継続は力なり。
【好きこそものの上手なれ】
そうはいっても、私はブログを書くことが好きだ。書き始めた頃の稚拙な文章を読み返すと、それはただの告知でしかなかったけど、それでも意外とスラスラかけることに、一つの発見があった。
あ、私は書くのがとても早いと。文字を打つのが早いのではないが、書き始めると文字を打つ手が追いつかない程に言葉が溢れてくる。こうやって歩きながら書いていたら、もうこのブログも後半に入っていた。
ブログは、なんの決まりもなく自分らしくかけるからとても楽だ。喫茶店で何を注文しようかと、悩む時のような緩い高揚感がある。そういうところが好きだ。
まえに書いたブログを振り返ると、一部を書き直したくなったりする。それは、その時よりも少しだけ書くことが上手になったからなのかもしれない。そこに手を加えるとより鮮やかな色合いがでる。でも私はそれをしない。
人は現実世界で生きていながら、実は個々の脳みその知覚で、現実世界を想像しているだけなのだから、脳がそれを現実世界と錯覚したら、本人の中では、それは現実世界とさほど違いはない。
文章は脳にその錯覚を与えてくれる。もっとも簡単なトリガーになる。だから書いている本人はすぐにどこかの世界に連れていかれてしまう。先日、溺愛していたガジュマルが倒れて、大変なことになった。そのことを書いたついでに、アナザーストーリーとして、ガジュマルを探しに沖縄の山奥に迷い込む男の話を空想して書いた。
その時、私はその世界に引き込まれて、山奥のガジュマルの森に埋まって息絶える自分をイメージした。そんな快楽が私に書くことへのモチベーションを与えてくれる。
ありがとう。好きこそものの上手なれ。