【熱海と。私のサウナ。】
【熱海の坂。】
山偏(やまへん)に、上、下と書いて、峠(とうげ)と読む。
気を抜くと真夏の様な、峠の中腹から海辺にまで栄える熱海の日差しは、このGWもとりわけアーケードのテントが所々に破れた商店街の坂道を登る時には、年々強く感じる気がする。
一度衰退の一途を辿ったこの街は、奇跡とと言われる回復をみせて、今に至る。休日は至る所で行列ができ、珍しいウツボの干物が売られる魚屋さんの横に、おしゃれなプリン屋さんが並び、そこにカップルが列をなす。
古いボーリング場か、古いホテルだったであろう廃墟は、いつの間にか無くなって、その存在感と共に記憶からも消え、何処にあったかも定かでは無くなる。幾つかある、坂の曲がり角に立つ新しい施設のどれかに生まれ変わり、限界的廃墟感は薄れていく。
それでもまだ、注意深く散策すると、栄枯盛衰を感じさせるのが熱海の街の好きな所の1つだ。
浜に近づくに連れ、目抜き通りにあった、人の往来は減少し、代わりに時間の止まったままの、またはそこだけ、とてもゆっくりと、朽ちていく為の時間を波の満ち引きと共に、数えている様な。
無言になったかつての人の営みは、雨の後の潮風と共に色褪せてくゆ。
それでもまだ、ひさしに2羽の鳩がとまる。
もう何年も人の手が届いていない、そこにまた鳩はとまる。
【私とサウナ。】
「整う」という言葉が、サウナと共に昨今ブームとなる10年ほど前の話。またまた行った近所のジムの施設の1つとしてあったサウナに、1人でハマっていた。
毎日決まった場所に座るおじさんを見る限り、サウナにはダイエット効果はさほど無い事をすぐに悟る。今思えば、大分ぬるくて入りやすかった水風呂と、交互に入ると時間の許す限り、無限ループが出来る事を知る。
途中から、頭が熱さでボーッとしてくるので、水風呂から出る時に冷水を頭にたくさん浴びせる。そうするとまた、さっきより少し長くサウナに入って居られる。
繰り返すうちに、極端な集中と散漫を行き交う様な、そして目に映るもの、聞こえる音が意味をなさなくなる様な、少しだけ、ランナーズハイに似ている様な、そんな感覚に陥いる。
この不思議な感覚が癖になり、時間があればこのサウナに通う様になる。何か趣味がありますか?と聞かれて「サウナです。」と答えるのは少しカッコ悪いと思ったけど、実際趣味なんて 他人にどう感じられるかはどうだってよくて何も気にすることはない。気がつくと、またその事を考えていて、気がつくと、またそこに足を運んでいる。気がつくと、その時間の過ごし方が好きになっている。
それでいい。
気がつくと、毎日決まった場所に座って汗を流すおじさんは、その後に、いつもの焼鳥屋に行って一杯やる事を楽しみに、いつもここに来ていると、同じく、だいたい毎日くるサウナ友達に話していた。
【私のサウナ。】
《2025年》
GWに行った熱海のホテル部屋のテラスにバレルサウナが設置されていた。
木の樽を輪切りにした様なその形状と、木製で作られた、そのサウナはまさにバレル。
大人が2人ゆったりと入れる。詰めれば3〜4人も入れるか。電気ストーブの様なサウナの熱源が置かれ、その中に拳ほどの大きさの黒い石が幾つも積まれている。金属製の器が鎖につなげられて、熱源の上にぶら下がっている。中には水が入っている。
電源を入れて30分ほどで熱くなると、檜の様なサウナ独特の香りに包まれる。なんとなく、これがロウリュウか、と思いながら焼けた石に柄杓で水をかけてみる。ジュワーっと言う蒸発音から、ワンテンポ遅れて熱蒸気がボワーっと上がってきて、熱っ!!となる。
慌ててサウナから出ると、峠の中腹のテラスに吹く風が冷たくて気持ちがいい。
ぶら下がっていた金属の器に水を入れると、焼石にゆっくりと水が滴り、熱蒸気が分散して上がってくる事に後で気づく。
バスローブごと水風呂に入り、ビショビショのままサウナに入ってみたが、これだと体が温まらず、顔と頭だけ熱くなってちょっと違う。
今度は木桶に沢山冷たい水を入れて、頭にかけている濡れたタオルに、定期的に水をかける。とにかく頭を熱くしない様に心がけると、随分と熱い中で長くいられる。たまに焼石に水をかけるとブワッと熱蒸気が上がるが、頭から顔にかけて垂れ下がるタオルが守ってくれる。
「これだ。」
更に、「整う」が世間で流行りはじめてから、急に冷たくなった様に思われる水風呂も、ここでは自分好みにアレンジできる。温水風呂(ぬるみずぶろ)を作り、抵抗なく身体を冷やしながら、頭にだけ直に水道水をかける。
無限ループサウナの爆誕だ。
『私のサウナ。』
つまりマイサウナは、少し贅沢だけど自分にはこれが合うなと思った。
ちなみにサウナが流行り出してから、この10年間の温度差による事故を念の為に調べてみると、私が思うより件数は少なく10年で78件。その内、死亡事故は2件。諸々の注意事項を守り無理せず入れば負担は軽減できるとの事。
いくら流行っているといっても、所詮は知らぬ者同士がタオル1枚で肩を並べるその様は、どこか時の流れに忘れられた様な錯覚をおこし、quick 不器用だけど、生き生きとした人の営みを感じる。
熱海の街の隆盛と衰退を横目に散策する、私はある種の「整い」を感じながら、かつては山であったその坂を上り下りする。