【24h】
1日。24時間が短く感じる。
夕方にベッドから、起きたら、鳥さん達をケージから出して遊ばせる。その間に、ケージにカバーをかけて棚に上げる。食器を洗い、掃除機をかける。吸引器を吸い、薬を飲む。
もう30分経っている。鳥さん達をケージに戻して、お風呂を沸かす。沸かすといっても、今時はボタンを押すと、自動でお湯が給湯口から出てきて溜まっていくだけだから、「沸いたお湯を溜める」が正解じゃあないかと考えながら、そういうことをいうと面倒がられるので、あまり人にいわない。
その間に、ワイシャツと下着を用意する。パジャマを脱いで、体重計に乗る。衣類を洗濯機に投げ込んで、風呂の扉を開ける頃に、「お風呂が沸きました」と自動音声が流れてくる。
あっという間だ。
湯船から上がり、髪を乾かす。ドライヤーを吹き付けながら、ジェルとスプレーで固める。その間にスクワットを20回する。もう起きてから1時間半が過ぎていて、これ以上自宅にいると遅刻することになると焦る。
40分歩いて職場に向かう。その間にラジオでニュースを聞きながら、スマホのニュースもチェックする。まだ日が長い時は、歩きながら本を読んだりもする。暗くなると書き物をしながら歩くから、良い習慣では無いと時々思う。
八百屋さんに寄って買い出しをする。買い出したものをしまい、仕込みをしていると、お客さんがやってくる。仕込みの手を止めて、おしぼりを出す。
ドリンクをつくり、手があくと仕込みを再開する。
仕事を終えると、椅子を並べて寝てしまう。4時間ほど寝て、バスに乗って帰宅して、また眠る。途中間が開くからか、あと4時間は寝たいと思う。
起きたら鳥さん達をケージから出して遊ばせる。
【1週間】
長い1週間が、また始まる。
夕方から始まる休日はあっという間に暮れてゆく。すぐに夜を迎える。普段あまり見ないテレビを少しだけみて、眠りにつく。
朝日で、目を覚ますが、夜に備えて夕方までまた眠ってしまう。
そんな月曜日だ。
何かとやる事の多い月曜日。そう感じるのは、週の始まりに期待し過ぎているからかも知れない。
割と暇なはずだけど意外と忙しい火曜日を、まだ余裕をもってやり過ごす。
水曜日はできたら早起きし、仕事前に事務仕事をして伝票を整理したい。
早起きのまま、早く出て肉屋に寄って、早く店に着く。オープン前に肉の仕込みを終えておきたい。水曜日は週の真ん中だ。深夜0時を過ぎ、木曜日に入る。後半の始まりだ。朝方にゴミ出しをする。なぜかゴミ袋はいつも一杯だ。
木曜日は、週末の気配が忍び寄る。金曜日の前夜祭。でもいつも同じ波が来るわけではない。来ない時はただプカプカと浮かぶように待つ。今週もあと1日。
金曜日は、祭りだ。そんな世間の雰囲気が、いつもより明るく感じる街の灯りから溢れてくる。世間は2連休。遅くまで飲んでも、誰にも咎められない。昼まで寝ていればいい。
その開放感に感染しながら、いつもの朝を迎える。休日前に最後の一仕事。もう1日祭がある。
そんな1日1日を繰り返しているとやってくる、最後の1日だけ多い1日。これが長い1週間の最後の1日。土曜日という祭。
日曜日の朝。休みの前に、1週間の店の終わりと、明日からの始まりのために整える。
【1年間】
あけまして。桜。暑い夏を終えると、年末の空気が漂う。
「今年も1年、はやかったですね」
そうやって年月を重ね、やがて歳をとる。1年も10年も、あっという間だ。人生80年というものは長いのか。短いのか。
1日を短く感じてしまうのは、切り捨てが下手だからかも知れない。計画性はあまり無くて、箇条書きされたタスクの列が、増えすぎると苦しくなって、減りすぎると焦ってしまう。
同じように繰り返しても、いつも違う。初めての毎日の繰り返しに慣れていく。少しずつ変わっても、少しなら耐えられる。万が一のために少し備えをしておく。それはお守りだ。
御墓参りは狼煙だ。年に一回、そこに行き、箒で落ち葉を払い、バケツの水で溝を拭う。生まれた時から、ここまでの道のりを可能な限り振り返る祭ごと。丘の上のお墓からは、海がみえる。
旅先の街並み。止まった時間に、日常を忘れる。仕事を忘れることができる。発見をしたら持ち帰る。古い街並みは、いつも真新しく目に映る。非日常の温泉は心のオアシス。部屋の窓から、海がみえる。
写真に映ると見え方が変わる。それに寄せられ、人が変わり、街が変わる。もともと世の中の流れに鈍感だったのかもしれない。ただ古くなるのか。積み重ねるのか。わからない。
日常は突然、変わってしまうことがある。そうしたら、そんな日常の変化に、また時間をかけて慣れていく。その時間は辛くて長いかも知れない。今までやってこれたから、きっとまた良くなる。
小さな信頼は、生きるための希望。
試行錯誤をしている。自分なりに。毎日、同じ道を歩いている。飽きることもなく。