【交差点】

【交差点】

このBARは、5叉路の隅っこにある6個目の小路だ。

表面だけ白くペンキで塗られた、昭和前期の建物で、目の前の小川が埋め立てられて暗渠となり、そこに人々が行き交う様になってから建てられた。

そこがBARになる前も、やはりカジュアルなBARで、その前は、焼き鳥屋だったとか、花屋だったとか、大家さんに聞いても全ては把握されていない。

斜めになった白い扉は,外から見ると右肩が下がっている。縁起が悪いからと、開店前に交換を勧められた事もあったが、内側からみたら右肩上がりになっていて、結局そんなものは、気の持ち様で、何かの不便が起きた事は一度も無い。

もう20年以上そこにあるカウンターは、至る所でニスが禿げ、無数のタバコの焦げ跡があり、コロナの時に長四角の跡が、また新しく出来た。

消毒アルコールが不足したせいで、業務用の高濃度アルコールを買ってきて、それを薄める作業中にに、垂れたものが、そのまま缶の容器の形のままに残ったものだ。

そんな無数の傷跡の様に、数多の人が行き交ってはグラスを傾け、簡単な言葉が交わされる。チラリと目が合う時もあるがまた、各々の行先へと向かっていく、カタトキだけ歩みを止める交差点。

6個目の小路は、物理的には袋小路だけど、非日常につながる広小路。ふらりと迷い込んて、ひと休み。穏やかなさざなみや、うねりを伴う強い飛沫をあげる時もあり、人間模様が寄せては返すを繰り返す。

【75年】

昭和24年に建てられたこの建物は、もう75年。あと25年。45歳の私が70歳になるまでここでBARを営む事が出来れば、築年数100年の建物BARとなる。それが何となくの今の、目安としての密かな目標だ。

私は古い建物が好きで、昔から写真を撮ったり、その中での人々の生活を想像したりした。

誰もがそうなのではないだろうか。

自分の日常と違う、または勝手にその様に想像する、人の営みに好奇心を持ち、ふと覗いて見たくなる。しかし、実際にそんな人々の生活を覗き見る事は出来なくて、その代わりに、古民家カフェとか、老舗の佇まいに迷い込んで擬似体験をする。

そんな体験もまたリアルである。そしてまた、時折触れる、「BARは日常の中の非日常。」という言葉もその一種である。

毎日毎日が、記録されない物語の繰り返しで、そこに踏み込んだ顔ぶれは、目撃者であり、演者である。時にペルソナとしての自分と、時に本音としての自分とカウンターが向き合うところ。

記憶は、どこかの片隅に、脳は記憶を記録して、それを無くしてしまう事はないと言う。自動消去される事はなく、いつかまた思い出される時をそこで静かに待っている。大概の事は、しまった引き出しがどれか分からなくなり、思い出す事が出来ないのだけれど。

75年の足跡に、勝手に想像力を膨らませてしまう。

【雑踏のカウンター】

とある町の歓楽街。珍しく時間が作れたので、1人で街を歩いて、気の向いたところに入って一杯やる。ちょっと気になる小洒落たお店から、前から言ってみたいと思っていた所、そして、ただ雑多な串焼き屋。

串を置く焼き台に落ちたタレが焼ける。肉の油が落ちて上がる煙。食欲をそそる香りと、それにまとわりつく煙草の煙が、人々の雑談と混ざり合う。

活気ある店員さんが「おまたせしました!」と「ありがとうございます!」を繰り返す。

そう!こう言う店!と思いつつ、、慣れない1人飲みと、その雑踏に割と早く倦怠感を覚える。スマホをいじりたい訳でもないし、人と話したい訳でもない、酔いたい訳でもないし、お腹もある程度満たされてきたら、何がしたいのかと言うと、ただ時間が立つ事を待ちたいのだ。

なんとも不思議で贅沢な感覚と環境。五反田に住んでいた頃の懐かしさを覚える。行く場所がなく、何となく寝るにはまだ時間があるから、高架下の焼き鳥屋で、大体「いつものみたいな感じ」のオーダーを、「冷やしトマト」から始める。

お兄さんお疲れ様です!と生ビールを持って来てくれる若大将にこちらも挨拶を返すけど、その後私が黙々と本を読む事を知っているので、それ以上の会話はない。

あ、本持ってくればよかった。

ほろ酔いの状態でそれに気づくと、本が無いこの状態に、極端に絶望する。やれやれ。

ワンカップみたいなコップ酒を煽る。

あ、スマホで本読めた。

昔好きでよく読んだ、村上春樹の一冊を、アプリで探すと、サンプルで何ページか出てくる。

慣れない老眼と、使い始めのアプリ、店の明かるさと、画面の明るさのアンマッチで、見るたびに目を細め、必死に文字を追う。

ああ、時は経って、色々変わったけど、でもこうやって,1人で座ってお酒を傾けているんだなぁ、と雑踏のカウンターを見つめた。

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2024年7月2日で開業12年を迎えるお店のカウンターに想いを寄せて。

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【一周まわって。】